原子力エネルギーの今

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元アメリカ陸軍中尉の加藤喬氏が世界各国に派遣される米兵に現地語を教える独自のカリキュラムを用いて英語を解説!
また、軍隊を切り口に様々な国の背景も紹介します

六十年代に一世を風靡した「鉄腕アトム」は超小型原子炉 (ultra-compact nuclear reactor) を備えているという設定でした。兄はコバルトで、妹はウラン。どちらも放射性元素です。原子力が夢のエネルギーとして受け入れられていた時代を感じます。

カク・ミチオ博士が少年時代を過ごした五十年代アメリカも同様だったようで、今回のエピソードでは「原子力時代の大ヘマ」と題してユーモアたっぷりに語っています。

自宅のガレージで粒子加速器 (particle accelerator) を自作してしまうほど知的好奇心 (curiosity) の旺盛な少年だった博士は、原子力自動車の青写真 (blueprint) を手に入れて躍り上がったと言います。

今にして思えば、原子炉を積んだ車が自分の住む街の目抜き通りを疾走する様はあまり有りがたいものではありませんし、衝突で核燃料が漏れたりメルトダウン (meltdown) が起きたりする可能性を考えないわけには行きません。

ですが当時は社会全体が夢のエネルギー源に酔いしれ、原子力旅客機 (nuclear-powered airliner)というアイデアまでまじめに考えられていたのです。一回の給油で非常に長時間飛び続けられるのは魅力ですが、乗員乗客の被曝や墜落時の放射能汚染は考えるだけで鳥肌モノです。

また、よしんば事故がなくても、原子炉を積んだ飛行機が四六時中上空を飛び交っている図だけで充分なトラウマになります。

原子力トースターというシロモノまで考案した科学者がいたそうですが、これなどすでにブラックユーモアの領域です。

知的才能のみが、より快適で便利かつ安全な未来を保障するものではないという教訓でしょう。グーグル・グラスから始まり、インターネット内蔵コンタクトレンズに続くその先には何が来るのか? 脳にチップを埋め込む電脳化でしょうか? サイバー黎明期の大失態と言われないように、先見の明 (vision) を持つことが必要です。


※再生部分⇒カウンター00:03~00:37

【動画原文と訳】
When I was growing up in Palo Alto in fact, I too was thrilled with this nuclear technology that was going to change the world.
(パロアルト市で過ごした少年時代、私も世界を変えていくものとしての核技術に心を踊らせたものです)

I was so happy one day when I received a blueprint for example of the atomic car.
(ある日、原子力自動車の青写真をもらい飛び上がって喜びました)

You will ride on 60 tons of lead in the main street in your home town with 60 tons of lead and a nuclear reactor.
(自分の町の目抜き通りを60トンの鉛と原子炉を積んで走ろうというのですよ)

No one asked what would happen if you had a rear-end collision on a main street and you have a nuclear meltdown.
(大通りで追突事故が起こったらどうなるのか、原子炉溶解事故が起こるなどということは誰も聞きませんでした)

We didn’t ask these questions.
(この頃、こういう質問は出なかったのです)

【基本語彙】
☆Grow up : 成長する 大人になる
☆Thrilled : ワクワクする 感動する
☆Rear-end collision : 追突
☆Meltdown : 原子炉の溶解・メルトダウン
【英語一言アドバイス】
rear-end collision は 「後ろの部分の衝突」つまり追突です。正面衝突なら head-on collision (頭からの衝突)ですし、軽い接触事故ならフェンダーがへこむ程度の事故、という意味で fender-bender と言います。覚えておくと万が一の時、役に立つでしょう。

 

 

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加藤 喬

米国防総省外国語学校日本語学部部長
1957年東京生まれ。79年に渡米アラスカ州立大学フェアバンクス校在学中、予備役士官訓練部隊を通じて少尉に任官。
湾岸戦争では整備中隊の中隊長代理として任務。