第91回:コートジボアールのドログバ選手
(1)すべてを賭けろ Risk Everything
日本代表チームにとって、今回のワールドカップの初戦となったコートジボアール戦。
日本では、日曜日の午前10時からの放送ということで、きっと多くの方々がご覧になっていたことだろう。
残念ながら、結果は 2-1で逆転負けとなってしまった。
雨の降るなかでキックオフ。
スターティング・メンバーには、久しぶりに日本代表チームのキャプテンである長谷部選手が登場した。
長谷部選手は、右膝の手術を2度を受け、今年は代表とクラブを合わせわずか2試合に出場しただけ。米国での直前合宿では右足に張りが出て、強化試合2試合を欠場していた。
おそらく、ザッケローニ監督は、長谷部選手のワールドカップ予選時の活躍や、キャプテンとしての責任感などに期待して、大きな賭けに出たのだろう。
そう言えば、長谷部選手は、
『心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣 』
という本も執筆しており、代表メンバーの中でも、特に精神力の強い選手の一人と認識されている。
だから、監督も長谷部選手に期待し、ここでもし彼が活躍できれば、チーム全体が勢いに乗るはず・・・という狙いがあったのだと思う。
常識的に考えれば、怪我でブランクのある選手をこんな大舞台の大事な初戦でいきなり先発に使わない。
いや、批判が怖くて使えない。
しかし、こんな大舞台だからこそ、数々の修羅場をくぐりぬけてきたザッケローニ監督は、一般常識を超越した『心の力』に期待した、ということじゃないかなと思う。
まさに、
「すべてを賭けろ」(Risk Everything)
の精神だ。
「安全にプレイすることほど危ないことはない」(There’s no greater danger than playing it safe)とか、
「リスクなしの勝利などない」(Without risk there is no victory)
というような、NIKEがこのワールドカップにあわせて展開中のキャンペーンのキャッチフレーズのような考え方が伺える。
〔ご参考〕
●またしても、NIKEのワールドカップ 向けキャンペーンがすごい
http://nyliberty.exblog.jp/22767849/
そうでもしなければ、格上の相手には勝てないということだろう。
なお、FIFA(国際サッカー連盟)による最新のFIFAランキングでは、日本は48位。
今回のワールドカップで、日本が所属するグループCの他国では、この初戦のコートジボワールが24位、第2戦のギリシャが13位、最後のコロンビアがグループトップの5位。
つまり、日本が同グループでは、最下位なのだ。
このような背景もあって、ザッケローニ監督は、おそらく一般常識を超越した長谷部選手の『心の力』に期待したが、残念ながら、長谷部選手は、昨シーズン後半をほぼ棒に振った影響を拭うことはできなかった。
その動きは、明らかに試合勘が戻っておらず、自らを鼓舞するように声を出し続けてはいたが、コートジボワールの強力な個人での突破に、1対1でついて行けない場面が目立ち、後半9分に交代となった。
悪夢のような逆転劇は、その後わずか10分あまりの間に起こった。
もしかしたら、実は、長谷部選手の『心の力』で他の選手たちを鼓舞し、なんとか均衡を保っていれたのかもしれない。
長谷部選手を交代させたことで、その均衡が崩れてしまったのかも?なんてことも、ちょっとだけ思った。
(2)ドログバ選手の『心の力』
一方、コートジボアールは、2度のアフリカ年間最優秀選手、2度のプレミアリーグ得点王など数々の栄誉を手にしたストライカーで、コートジボワール代表のキャプテンを務める大黒柱、ディディエ・ドログバ選手が、他の選手たちの士気を格段に高め、試合の流れに大きな変化をもたらした。
現在36歳のドログバ選手は、この試合、スターティング・メンバーではなく、後半から途中出場となった。
ドログバ選手が登場したのは、後半17分。
前線でボールを収める動きだけでなく、チームの士気を一気に高め、直後の後半19分、中央のヤヤ・トゥーレ選手が右サイドに展開し、前半から攻撃の起点になっていたセルジュ・オーリエ選手が鋭いアーリークロスを供給。
そこに走り込んだボニ選手が森重選手のマークをモノともせず、ダイビングヘッドでボールを叩き込んだ。
さらに、コートジボワールはその2分後に、21歳のオーリエ選手が、まったく同じような形で右サイドから絶妙なセンタリングを送り、今度はニアサイドのジェルビーニョ選手が頭で合わせゴールを陥れた。
ドログバ選手の投入からわずか5分ほどで2点を奪い、一気に逆転。
コートジボワールのラムシ監督は、
「ドログバがピッチに出て全てが変わった。先発でもベンチでも、彼のような存在がいることはいいことだ。影響力があると分かった。他の選手にも大きな変化をもたらす」
と、ひたすら感謝していたという。
なぜ、ドログバ選手が投入されただけで、これほどまでに選手たちが変わったのか?
それには大きな理由がある。
(3)祖国を救った国民的英雄
ドログバ選手はサッカーだけじゃない。
祖国を救った国民的英雄だ。
いや、「英雄」どころじゃない、「神」とまで言われているという。
1960年、フランス領から独立したコートジボワールは、独立後の混乱の中、各地で軍人たちが武装決起して、政府を攻撃、南北に別れ、内戦状態に陥っていた。
2000年頃から、北部で反政府勢力が武装蜂起し、コートジボワールは自国の中で多くの血が流れる非常事態に突入。
民族が違うだけの理由で殺人、放火、略奪が行われ、一般市民が多数死傷。女性や子供を中心に約2万人の難民が発生した。
長年にわたって小康状態と戦闘が繰り返された内戦に対し、終止符を打ったのがサッカーのコートジボワール代表だった。
チームは、さまざまな地域から集まった選手で構成されている。
2005年10月、06年ドイツ大会の本大会進出を決めた試合の後、マイクを手にしたドログバ選手は、更衣室でチーム全員と一緒に、生中継のテレビカメラに向かってひざまずき、内戦をやめるよう訴えたのだ。
そして、実際にこのドログバ選手の訴えによって内戦が一時的に停止した。
奇跡が起こった。
その映像はYouTube上でもご覧になれる。
〔ご参考〕
●Didier Drogba and the Ivorian civil war
※8:30頃からドログバ選手の訴え
すごすぎる。
しかし、ドログバ選手はこれだけではない。
ドログバ選手は、5歳の時、コートジボワールからフランスに渡った。
プロ選手の叔父に預かられることになる。だが、この渡仏は、貧困が理由でもなければ、サッカー選手になるための選択でもなかった。当時、銀行員だった父のアルベール・ドログバが、幼い息子を海外に送ったのは、将来、良き人生を歩めるよう、いい教育を受けさせたからだった。
後に、自らもフランスに渡った父は、息子の学業成績が下がればサッカーを禁じ、上がればまたサッカーをすることを許した。
だから、
「しっかり勉強して、医者か何かになって欲しかった。サッカーは、遊びでやる程度のことだと思っていました」。
とインタビューに答えている。
しかし、サッカー選手としての才能を開花させ、結局、医者でも弁護士でもなく、ドログバ選手はサッカー選手として成功を収める。
富と名声を手にし、祖国コートジボワールの英雄の地位を得た。
そんなドログバ選手は、2002年の日韓ワールドカップに、フランス国籍を持ち、フランス代表としても出場可能だったのにも関わらず、コートジボワール代表として出場することを選択した。
2002年当時、選手間には派閥的な亀裂が存在し、チームはモラルを問われていた。しかも、国は政情不安。結局、ワールドカップへの出場を逃したが、そんな逆境の中でチームを建て直し、2006年ドイツ大会の本大会出場を決めた。
それが、コートジボワール代表にとって、初のワールドカップ本大会出場。
同じ国内で国民が殺し合う内戦が続いていたコートジボワール国民に、希望の光を照らしたのである。
そして、
「ドログバは大統領よりも力がある」、
「フランス軍よりも国連平和維持軍よりも実績がある」
と賞賛され国民の英雄となった。
2010年の雑誌TIMEによる「世界で影響力のある100人」にも選ばれ、クリントン元大統領やレディーガガとともに表紙を飾った。
〔ご参考〕
●The 2010 TIME 100
そのほかにも、ドログバ選手は祖国への惜しみない貢献活動を行っている。
2012年には『ディディエ・ドログバ基金』を設立。病院の貧弱な設備、悲惨な状況にある子供たちを救うために、アビジャン郊外に病院を建設中。コートジボワールの他の都市にも病院を建設する予定であり、マラリアの撲滅運動にも参加している。恵まれない子供たちを招待してのチャリティーも開催した。
チャリティーに参加したある子どもは、こう述べた。
「神様、コートジボワールにディディエ・ドログバという人を与えてくれて、ありがとう」。
子供たちとの交流に、ドログバ選手は涙したという。
そんなドログバ選手も、今36歳。おそらく今回が選手としては、最後のワールドカップになる。
祖国の平和のため、子ども達のため、ドログバ選手がどれほどの思いで戦い続けてきたのか、コートジボワールの代表選手たちは、誰よりも間近で感じとってきただろう。
ドログバ選手の掲げた『ビジョン』が、コートジボワールの未来を変えようとしているのだ。
だから、あの試合、後半17分にドログバ選手が投入された直後に、大逆転劇が生まれたとんじゃないだろうか。
残念ながら日本代表には、ドログバ選手ほどの『ビジョン』や使命感を背負った選手はいなかった。
そういう試合だった。
そういえば、日本でも、1995年の阪神・淡路大震災阪神大震災後、プロ野球で神戸が地元のオリックスがリーグ優勝、翌年にはリーグ2連覇し、球団として19年ぶりとなる日本一になったことがあった。
昨年も、東北楽天ゴールデンイーグルスが、チーム創設以来初となるリーグ優勝。そして日本一になったが、この背景に、東日本大震災からの復興のため・・・という思いがあったことは明らかだ。
どうやら、自分のためだけに頑張るよりも、誰かのために頑張ると、人間は、人種や民族の違いに関係なく大きな力を発揮できるのかもしれない。
「多様性のもたらすもの」のコーナーでは、より良い日本の未来を築くうえで、役立ちそうな発想や情報を織り交ぜながら、ニューヨークの最大の魅力である「多様性」について感じたことや思っていることを書き綴っていこうと思います。
また、逆に、人口の98%以上が日本人であるため、ニューヨークのような「多様性」が社会に見られない日本だからこそ持つ長所や強みなどについても取り上げていきます。
いずれにしても、日本の中にいると気づかなかったり、見過ごしがちなアイデアや視点を少しでもお届けできれば良いかなと思います。